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このページは「屋形舟今昔」のトップページのコーナー『つれづれ』のバックナンバーをまとめています。

2005年5月のつれづれ

屋形舟に乗ってしまった鰡(ぼら)

屋形船に乗ってしまったボラ第八小松丸のみよしに、鰡(ぼら)がいました。

今朝気が付きましたが、昨日帰るときは、確かに乗っては?いなかったのですが…

店内にいて、何だかバタンバタンと聞き慣れない音がして、気になり調べてみたら、台船に乗ってしまった鰡が大暴れしていることもありました。

そのときは、捕まえて川に放そうとしたら、自ら川に落ちて泳いでいった事もあります。

昨日、23日の東京の空模様は、なんとも不安定で、雨傘を常に持って歩かないと心配になるような一日でした。

夕方から雨が降り出し、雷まで鳴り、一時はまるで嵐のような荒れ模様となってしまいました。

雨による神田川の激しい流れと共に、鰡も飛び上がってしまったのかもしれません。

それにしても、すごい跳躍力。
水面上から、2m近くは跳んでいることになります。

その瞬間を撮影できたら、すごいのにと、シャッターチャンスと運を待つばかりです。

2005年5月24日


神田祭


神田祭今年の神田明神の神田祭は、14,15日にかけて行われました。

14日は、時によっては汗ばむほどの好天気に恵まれて、一日中、お囃子と「わっしょい、わっしょい」の掛け声が響いていました。

そういえば、江戸開府400年を記念して、東日本橋2丁目町会の神輿を390年振りに船渡御したのは、一昨年2003年のことになります。

もう、そんなに時が経ってしまったのかと、不思議に思うほど、とても印象深い神事でした。

揃いの祭り伴天、ねじり鉢巻もきりりと勇ましく神輿を守る男性陣。

しゃんしゃんと、鈴の音高らかに先導する女性たちの凛々しさ。

満面の笑顔で手を振るお揃いの浴衣姿のおばさまたち。

一言で言えば、「格好いい!」

柳橋の上であちらこちらの町会の人々の羨望の眼差しが物語っていました。
今年の神田祭も、15日の神輿宮入で一段と賑わいます。なにしろ、秋葉原の中央通りは、歩行者天国ならず、神輿天国になるのですから、見事なものです。

そして祭りが終わると、東京も初夏の風が吹き始めるのです。

2005年5月16日


丸提灯

丸提灯第二小松丸、第七小松丸に提げる提灯です。
この小松屋の名入りの提灯は、船の一番舳先(みよし)側に提げます。

他の提灯は、名入れせず、この朱色に、目にも鮮やかな柳のみです。
右舷、左舷ともに、8張。全部で16張の提灯が屋形舟を飾ります。
小松屋の屋形舟が、ただ1艘だけ走っていた昭和50年代の頃は…

現在あちらこちらで見かける橋のライトアップの明かりもありません。

お台場は、海外からの材木を筏にして浮かべる貯木場として、虫の声も聞こえるほどの静けさ。

そして対岸に遠く、東京タワーの明かりがうっすらと見えるほどの暗闇。

もちろん、レインボーブリッジもまだ架かっていない頃のことです。
東京とは思えない暗闇、静けさのなか、ゆらゆら水面(みなも)に、紅い灯りを映す提灯。

これが不思議なことに、いつまで見ていても、見飽きることもないのです。

温かい紅の灯りには、人を引き寄せ、常に変化し続ける水面(みなも)にも、人の気持ちを引き込む何かがあるのだと、思わずにはいられません。
時は移り、現在の華やいだ明るさのなかでも、屋形舟のこの提灯は、変わることもなく、水面(みなも)を紅く染めているのです。


2005年5月6日

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