お父さんからの「ありがとう」今回は船頭の思い出話を聞いて下さい。 私、この仕事に就いて27年になりますが、舟に乗り始めて間もない頃(二十代中頃)のことです。 四月のお花見が終わった頃、六月中旬に予約したいので一週間後に伺いますとの電話でした。 店にみえたお客様は五十代後半の会社員の方でした。 当日は梅雨の始まりの薄曇りではっきりしない天気でしたが、無風で穏やかな日でした。 「実は私、明日で会社を定年退職なんです。長い間家内にも苦労をかけたし、息子も仕事が忙しくて、ここ何年じっくりと話をしたこともないので、まあこれを機会に二人にお礼といっちゃ何ですが、家族三人でのんびりするのもいいかなと思いましてお願いしたんですよ。二人にはまだ船に乗ることは話してないんです。」 六時にもう少し間がある頃、奥様に続いて息子さんがおみえになりました。
お台場の貯木場に入り、船を丸太にもやい、対岸の夜景を見ながら食事をされてる間にも、時々聞こえる笑い声に家族水入らずの様子がうかがえました。 時間はあっという間に過ぎ、帰途。お台場をでて竹芝桟橋、隅田川へと入り柳橋に向かう船上では、三人揃って船首に出て座り、心地よい川風に当たりながら、あちこち指さされては話込み笑っておりました。 時折、近くにおりました私にも橋や建物など周りの風景について訊ねられましたが、佃島の付近にきたときご主人がお二人に『佃の渡し』について熱心に説明されていたのを覚えております。 柳橋の桟橋に船が着き、ご主人・息子さん・奥様の順に降りてこられた時に「ありがとうございました。いかがでしたか。今日は穏やかな天気でよかったですね。」とお声をかけましたら、皆さん本当に楽しかったと口々におっしゃって下さいました。 最後に降りられた奥様が一人桟橋に残られて「三人で外で食事をとるなんて、久しぶりなんですよ。それに屋形舟に乗るなんて聞いてなかったので、びっくりしました。主人に聞きました? ・・・ええ、明日で定年退職なんです。それで一人で計画してたんですね。本当なら私と息子が何かやらなくちゃいけないのに、逆ですね。でも本当に良い思い出になります。おとうさんに感謝しなくちゃ。」と言われて待合所に上がって行かれました。 上がってお茶を飲みながら、皆さん朗らかにお話をされ、最後に何度もお礼をおっしゃって下さいました。 駅に帰る道すがら、神田川の川辺を三人肩を並べて歩いていく後ろ姿が忘れられません。 今では、隅田川・東京港・お台場など光にあふれていますが、当時は行き交う船も少なく、お台場は原木の丸太の貯蔵場で明かりは遥か向こうにポツンポツンと見えるなか、一艘だけ浮かぶ屋形舟の明かりを思い浮かべると、27年たった今、私にもお父さんの気持ちが少しだけわかるような気がします。 2003年6月1日 |
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