「屋形舟今昔」トップページへ
>「屋形舟今昔」トップページへ

このページでは舟宿にまつわるいろんなお話、屋形舟の歴史をご紹介しております。
不定期ではございますが少しづつ更新して参りますので、お楽しみください。ぜひご意見・ご感想などお寄せください。

屋形船に乗って東京マラソンを応援しよう(3)

-東京マラソン2009後記-

前のページへ戻る

風は強く、波高し。

荒れる東京港パレットタウン桟橋の離着岸時はかなり大変でした。

あちらこちらと歩きながらチラシを手渡し、最終の屋形船にも多くの応援者に乗ってもらい一段落。

小松屋の屋形舟にいつも乗船されるお客さんも走っていることを知ったり、今回の屋形船に乗って、往復して帰ってきた人に話しかけられたり、一般道を出場している友人に併走する人が多くいたりして、沿道にずっといなければ分からないことがありました。

最後尾の救護バスが来る前に、各地点での時間切れがあることも知りました。

「あと○○分で、規定時間の終了です。」浅草橋駅前で競技委員の声が響きます。6時間40分までの規定時間があるため、各チェックポイントでバスに乗ることになるのですね。

脇腹を押さえながら歩く人や、蒼白になってしまった人たちが、必死になって前を目指します。

「浅草橋を越えたら30kmのチェックポイントだから。もうすぐだから。」

人で溢れる浅草橋江戸通り声をかけると、しっかり頷いて走り出します。「ありがとう」と言う人もいます。

ドクターカーならぬ「ドクター自転車」が前になり後ろになり守るように走ります。浅草橋駅前から、数百メートルとはいえ、ずっと走り通したランナーにとっては、とても長い道のりだと思え、「もう少し」としか声が掛けられません。目の前でランナーが倒れ掛かった時には、慌てて医師を呼び続けました。少し回復してまた歩き出した姿には、ほっとしました。朝からのとんでもない寒さのために、低体温症と脱水症状に陥りやすかったようです。

時間切れが迫ってくると、競技委員の声も切羽詰っていき、「あと何分」の声が無くなる時がきます。必死な様子のランナーにかける言葉が見つからない。手が痛くなるほど、拍手をし続けるだけです。

周りにいる人たちも一様に同じ気持ちなのでしょう、見守りながら拍手の途絶えることはありませんでした。

ランナーがすべて通り過ぎて、関係車両が続き、コーンが片付けられ、臨時トイレもあっという間に回収され、ボランティアの人たちが去っていき、しんとした一瞬後には、何事もなかったかのように車が走り始めました。

最後の屋形船が5時頃浅草橋に戻ってきて、長い一日が終わりました。

「屋形船東京都協同組合」では、今年もマラソン応援者を応援します。

海から、川から東京マラソンを応援しよう

さて、今年の東京マラソン2010 2月28日(日)
浅草橋、浜町防災桟橋から、午前10時より午後3時まで8便。
東京ビッグサイトの桟橋まで運行します。

浅草橋周辺の赤いジャンパーにご注目!乗船案内をいたします。先着順で乗船できます。

さあ今年も、屋形船に乗って東京マラソンを応援しよう!

屋形船東京都協同組合(東京マラソン2010)のページ

東京マラソン2010(東京大マラソン祭り2010)オフィシャルページ

純

 

最初のページへ戻る |  >  > 3

2009年2月4日

▲上へ
2002-2012(C)All Rights Reserved by Funayado Komatuya 文章・画像等の無断転載を禁じます。